被災地で感じた福祉職の役割とは


※画像は3.11東日本大震災から1ヶ月以上経った陸前高田市のものです。

私は東日本大震災の時は、岩手県沿岸にいました。その際に感じたことについてお伝えしたいと思います。

3.11東日本大震災当日

私は東日本大震災のあった3/11は沿岸地域でケアマネとして勤務していました。

その時の恐怖は今でもはっきりと覚えています。

会議中だったのですが、突然携帯電話から聞いたことのない耳障りな音、緊急地震速報のアラームが鳴ったかと思うと、激しい揺れ。今までに感じたことのないとてつもなく大きな揺れ。しかもとても長い時間でした。

その場にいたものは皆、幅の狭い会議机の下に潜り込み、近くにいた女性は悲鳴を上げていました。

何が起こっているのか?

いったい、いつこの揺れは収まるのだろうか?

以前に漫画で読んだことのある日本沈没のような事が起こるのではないか?

生まれて初めて死を意識しました。

そしてやっと揺れが収まると、その場にいたもの皆が一目散に建物の外へと駆け出して、自分の車へと乗り込み散り散りになったのです。

私はどうしようか悩みましたが、取り敢えず自宅へ戻ってみることにしました。

後にこの判断は正しかったことがわかりました。私の職場は建物こそ残っていたものの、津波に飲まれてひどい状態になっていたのでした。

 

津波が来た後

私が自宅へ向かう途中、何度津波が町まで押し寄せてきたのか正確な所はわかりませんが、私は運良く津波に遭うことなく自宅近くまでたどり着きました。

既に道路の所々に津波が押し寄せてきていたため、自宅までは車で行くことが出来なかったため、途中で車を乗り捨てて徒歩で自宅へとたどり着きました。

 

その時は地震〜津波発生から既に一時間は経っていたため、携帯電話は全く通じない状態でしたが、自宅の近くで近所の人とたまたま会いました。

その方から妻と子が中学校へ避難していると聞き、私も中学校へと向かいました。

私の自宅は高台にあり、その更に上に中学校がありました。その中学校が避難場所となっていたようで、近くの人々が続々と中学校へと向かって歩いていました。

リュックを背負った高齢の方も多く、中学校までの坂道を休み休み登っていました。

聞くと「地震があったので津波が来ると思い、これ(リュック)だけ持って逃げてきた。これで家を流されるのは(過去のチリ津波等と合わせて)三度目だ」 と言う方もいれば、「爺さんは流されてしまった」と話すお婆さんもいました。

そんな中、私も中学校で家族の姿を必死で探しました。

ほどなくして家族の姿を見つけた私は中学校の体育館へと避難し、さてこの後どうしようかと悩みました。

職場も気にならないわけではないが、明らかにそんな雰囲気ではないしそもそも職場まで戻るにも、まずは車を取りに行かなければなりませんが、それは恐らく不可能です。

なぜなら、車を乗り捨て歩いている途中の道路まで津波がきていたので、到底車のあるところまで戻れるとは思えません。

そのため私は考えた結果、一旦内陸へと移動することにしたのです。

この時情報源はラジオしかなく、そのラジオもきちんと聞こえていたわけではないため、東北地方全体で停電が起こっていることがわからなかったのです。

そのため私は家族と内陸へと向かいましたが、結局内陸も全て停電となっていたため、そのまま車中泊をしました。

そうして、その後紆余曲折ありながらも、取り敢えず地元へと避難したのです。

 

 

被災地へ戻る

地元で何日か過ごしていると、被災地にいる職場の方とも携帯電話で連絡が取れるようになってきました。

震災当日から何日かはずっと連絡が取れなかったため、もしかして・・・という思いもありましたが、幸運にも全員無事でした。

しかし職場が被災しており、その職場までの道路も暫く通れなかったため、携帯電話が通じるようになるまで、皆連絡のとりようが無かったとのことでした。

 

 

地元でも段々とガソリンが買えるようになってきたため、私達家族は再び被災地へ戻りました。

そして、次の日から職場の仲間と一緒に避難所をまわり、利用者の安否確認に向かいました。

 

 

体育館にいた独居の女性


Photo credit: danobrienmuzyka via Visual Hunt / CC BY-SA

 

私が職場へ戻るまでの間、他の職員の方が避難所回りを何回かしており、私の担当の独居の女性は高台にある体育館に避難していると聞いていました。

そこを訪れその女性の姿を探しましたが、沢山の人が避難していますので見つけることができません。

何人かの人に尋ねると、医務室にいるとの話でした。

 

女性は腸閉塞を起こしかけていた

体育館の事務所だった所を医務室にしているようで、そこを尋ねるとその女性は点滴を受けています。

近くにいた看護師さんに聞くと、腸閉塞を起こしかけていたため点滴をしている。発見が早かったので、多分入院まではならないと思うとのことでした。

女性は独居ではあったものの、かなり高齢だったので私の事をきちんと覚えているか不安でしたが、声をかけるとすぐに私の事がわかったようでした。

「どうしたの、大丈夫だったの?」と尋ねると、「自分は足が悪いから、床から立ち上がってトイレに行くのが大変で、周りの人にも迷惑をかけたくないからなるべくトイレに行かないようにしていたら、こうなってしまった」と話されていました。

幸い、入院までには至らず点滴を何日か続けると元気になられましたが、その後もまた体育館の床のうえで過ごさなければなりません。

 

女性に福祉用具のレンタルを

女性が点滴が終了となり、体育館の中の自分の居住スペースに戻る際に、何かしらの対策を立てねばならないと思いました。

立ち上がるのが大変なので、トイレに行かない様にしていたとの事なので、楽に立てるようにベッドを借りたらどうかと思いました。女性は自宅にいた際もベッドを使用していました。

 

しかしこれはすぐに駄目だと気付きましたし、女性も拒否されました。

まず電気がありませんので、高さ調整ができません。高さはどうにかできたとしても、かなりのスペースを取ることになります。

当時、恐らく皆さんもテレビのニュース等で避難所の様子をご覧になったことがあるかと思いますが、まさにどこの避難所もあの通りです。隣とのスペースは全くなく、ただの衝立で仕切られているのみ。

ベッドを置こうと思えば置けないこともないですが、他の方に迷惑だとの思いから女性はベッドの利用は拒否されましたし、その気持ちもわかるくらいに確かに狭く、大勢の人が避難しています。

次に考えたのは杖や歩行器などのレンタルです。

杖は、使用するためにはまず立ち上がらなければならないので、借りてもいいがそれ以外にも他の用具が必要です。

そのため、座った位置から手をかけて、立位のために加重できるような掴まる所がある歩行器を借りる事にしました。

これは女性も気に入ったようで、隣近所の方たちも歩行器を押さえてあげるなど、簡単な所は手伝ってもらえました。

その後はトイレを我慢することも無くなり、体調を崩されることもなく、約3ヶ月程度その避難所で過ごされました。

 

 

女性の為に何が出来たか

今回適切な歩行器の選定が出来たことでその後は良い経過を辿ったと思うのですが、ここまでの間の事を全ての支援者が出来るだろうか?と思いました(勿論、私のやり方が優れていたという意味ではありません)。

 

有事の際の対応方法の確立と周知

例えばこの間、当然固定電話など使える状態では無かったため、私は会社支給の携帯電話を使用していました。

たまたまこの震災の何ヶ月か前から支給されており、その携帯電話に取引先の番号は全て入れていたのでスムーズに連絡がとれました。

しかし私も以前はそうだったように、会社から携帯電話が支給されていない方も多くいるはずです。

それであれば今回のケースの場合、スムーズに歩行器の使用が出来なかったはずです。

なぜなら私の会社がそうであったように、会社自体が被災しているという事業所も少なくありませんでしたから、そもそも担当の方が無事でもその人と連絡をとる術がないという状態になるからです。

 

逆に言えば、携帯電話さえ使える状態であればどうにでも出来ると思いました。

 

施設、在宅など福祉のステージに違いはあれど、有事の際にはどのようなアクシデントが考えられるか、まずそのアセスメントが必要ではないかと思うのです。

沿岸であれば当然津波の心配がありますし、山間の地域であれば、土砂崩れなどで孤立する事があるかもしれません。

そしてそのように色々な状況を想定し、その時にとるべき対応とその際の連絡方法を最低でも2つ以上用意する事が必要だと思います。

因みに私が住んでいた地域は、震災後はauの携帯電話がとても繋がりにくく、docomoとSoftBankは比較的良好に使用できていました(津波でauの電波塔が折れたなどの噂がありました)。

ですから携帯電話を2台、しかもdocomoとau等とキャリア違いで2台準備するのもひとつのリスクヘッジではないかと思います。

勿論、色々な対応方法を考えたらその事についての周知徹底も重要です。

 

アセスメント

何を今更ですが、やはりこれに尽きます。

単に身体機能を見たり利用者の言いたいことを聞くのみではなく、アセスメントの基本である「現在の状態の把握と、今後この状態が続けばこの人はどうなるか」の予測の視点が必要と思います。

今回は既に点滴を受けている状態となっていましたが、そうならないよう予防の視点をもつべきなのは当然と思います。

ニュースで報道されていたのが、上記の女性のように体育館などの避難所に避難されている高齢者が、一週間避難所生活を続けた結果それまで自立歩行できていたのが歩けなくなってしまった、というものがありましたし実際に私も目にしました。

そのような事も起こりうる、という予測の視点も大事だと思います。

 

津波てんでんこ

文才がなく取り留めのないような内容だったかもしれませんが、最後にこの言葉を・・・

津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/津波てんでんこ

 

正直、この文章だけ見ると誤解を受けそうな表現でもあるので、是非引用元のWikipediaの記事を見ていただきたいのですが、まずは自分の命です。

死んでしまったら他の人を救うこともできません。まずは自分の命です。

 

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